コミュニケーションとしてのファッション

先日、ファッション界の大先輩である田辺三千代さんの

還暦を祝う会にお邪魔してきた。

 

サプライズパーティーということで、必然的に参加者は、

ご本人がいらっしゃる前に会場に集合して待機ということになる。

久しぶりにお会いする方にご挨拶したり、

比較的よく顔を合わせるひととは最近の話をしたりした。

何しろ、主役が飛切りお洒落な方なので、集まる面々も洒落た方ばかりだ。

「お洒落」と書いたが、巷のトレンドをそのまま、

というようなひとはおらず、皆、それぞれ独自のスタイルを持っている。

服が板についている、とでも言おうか。

だから、こういう会はとても楽しい。

 

ファッションは、自己表現であるとは昔からよく言われるところだが、

コミュニケーションメディアとしての側面も忘れてはならないだろう。

双方向のコミュニケーションには、他者を思いやる気持ちが不可欠である。

それなくしては、単なる自己主張の押し売りにもなりかねない。

この日集まったひとたちは、そういう意味において、

成熟した考えをお持ちなのだろうということが

着こなしから透けて見えてきて、それゆえ居心地もいいものだった。

 

その数日後、自分が企画した詩人・菅原敏さんの

ディナーショーに立ち会った。

馬喰横山の「フクモリ」で開催したこのディナーショーは、

普段の菅原さんの「朗読ライブ」(詩の朗読にピアノの演奏が添えられる)

に、ディナーショーらしく、

各テーブルへの「詩の宅配便」などを加えたもので、

有り難いことに大勢のお客様に足を運んでいただいた。

黒いジャケットに千鳥格子のパンツ、インナーには白のドレスシャツ。

ポケットチーフも忘れない。

その夜の菅原さんのファッションは、

お客様にディナーショー的な雰囲気を視覚からも感じてもらうのに

非常に効果的であったし、お店のムードとも絶妙なマッチングであった

(ピアノを演奏してくださった竹下勝英さんもスーツで臨んだ)。

これも、コミュニケーションメディアとしてのファッションの

好例といえるだろう。

 

年齢を重ねても若々しくありたい、と思うこと自体は、

一概に悪いこととは言い難い。

が、成熟しないことが若々しさであると

はき違えているひとが散見されるのもまた事実である。

「若々しさ」と「幼稚さ」とは別物だ。

着こなしに思いやりを与えられるのは成熟している

(あるいはそうなりたいと思う)ひとだけである。

 

少なくとも自分は、これまで述べてきた点に気を配ることが楽しい。

誰に会うからこの服、どこに行くからこの服、というように。

まだまだ未熟者であるのには違いないのだが。